Auntie K's Diary

カナダで同性婚をしたアラフィフのおじさんの独り言です。

何がしたいのか…


仲良くして頂いているブロガーさんの記事から今日は二言三言。

前置きします。
長いです。そしてあくまでも個人的な考えです。


日本で、同性婚が合法になるまでにはまだまだ時間が必要だと思います。日本人の同性愛者に対する認識が変わらないといけないのと、絶対に必要な法律の整備に乗り出す政治家もいないから。


結婚って、もちろん2人の愛を公に表す意味もあるけれど、家族と言う小団体/括りを作る意味もあると思います。家族には、個人と違った様々な権利が付属しています。例えば、医療現場で治療の決断権、お見舞いだったり。でも、義務も付き添います。支払いも個人だけでなく家族としての義務になります。相手が死亡した際の年金や保険、それまで住んでいた住居の居住権利などその他にもたくさんの権利、同時に義務が発生します。この複雑な関係を法律で線引きし整理しているはずが、同性婚が成立しない国での同性愛者は、形だけの結婚をしたとしても、権利も義務もそこには発生しません。気持ち的には成れても、公には家族として認められない。

よく、同性愛者には子供が出来ない。だから、家族には成れない。

そう言う人を見受けます。これって本当に無知を丸出しにしていると思います。異性婚のカップルでも、色んな理由で子供を産めない人たちもいます。でも、異性婚の場合は、家族になれますよね。婚姻届さえ出せば。子供を養う財政力と愛がある「家庭」なら、養子縁組も可能ですし、代理母を使う事も可能です。今までもそうであったように、これからも変わらないと思います。

子供が出来ない異性婚のカップルと同性婚のカップルの違いは性別だけ…

子供の教育に、異性婚も同性婚も大きな差がない事はもう5〜6年前から色んなスタディーで結論付けられている事実。グーグルして調べてみてください。

子供が出来ないだけでは家族に成れない理由にならないと思うのは自分だけでしょうか。

どうしても同性婚だからと言いたのならそれは単なる性差別。


元々、ゲイプライドが始ったのも差別から逃れたいから。なぜ、差別を受けないといけないのかわからないから。自分の人生を自分なりに生きたいから。生きたいから。

90年代初め。アラバマ州の小さな町に住んでいました。そこにも少数ですが同性愛者は住んでいました。でも、連日受ける暴行事件や差別行為に悩まされていました。6月はアメリカの各地がゲイプライドウィークとしてパレードにイベントで賑わいます。この町でもと、当時30人くらいでしたか、初めてゲイプライドを行うことにしました。そこに自分もボランティアとして活動しました。

生きたいから。町を歩いているだけで罵倒を受けたり、暴行を受けたりしなくても良いように。

パレードの当日警察はお金を払うと言っても自分たちを保護してくれることはありませんでした。パレードの前後左右にはKKKの団体が白い衣装を頭から被りトーチに石にやりたい放題自分たちに暴行、罵倒を浴びせました。でも、30人一緒に怪我をしながらも歩きました。ニュースにも取り上げられなかったですよ。そんな価値がないと。そんな時代も有りました。

HIV/AIDS、Equal Protection (of the law)、Marriage Equality。。。

自分たちが受けている様々なSocial Injusticeを大勢の人たちに知ってもらう。気付いてもらう。そんな中で自分たちが戦いながら生きている。その事実を事実として見て欲しい。気付いて欲しい。

東京のプライドパレードも最初は小さなものだった記憶があります。ここまで大きくなったのも今までに大勢の人たちが自分たちのプライバシーや何かを代償にしてくれたおかげ。


こっちでも、最近では歳を取ったおじいさん同性愛者の人たちを馬鹿にする言動が目立って来ています。
HOW DARE THEY!
プライドウィークもお祭り騒ぎが重視されて来て。5〜6年前からかな、どの雑誌を見ても、ある街のプライドはお金を儲けた、比べてこの街はどうだったみたいな記事をよく見るようになった。それと同時期ごろかな。自分がプライドウィーケンドに参加しなくなったのは。

スポンサーが付いて大々的にプライドウィークをイベントとして開催出来る事は本当に素晴らし事だと思いますが。それだけが一人歩きし始めたら本当の意味での「プライド」では無いですよ。単なるサーキットパーティー。

今の自由があるのは、先代の人たちの苦労の代償だって忘れたく無いです。


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