Auntie K's Diary

カナダで同性婚をしたアラフィフのおじさんの独り言です。

再来年は…(ちょっと訂正しました)

再来年は日本を出て30年を迎える年になります。

早いなぁ〜と思う反面、もうあの当時の思い出がうっすらしか残っていないのをみるとやっぱり随分と時間が経ったんだなと思い直したりもします。

色んな夢を抱いて日本を経ちました。

例えば、ゲイとして生きる事だったり、日本の国籍を捨てる事だったり。

ゲイとして生きる事ってのは別の機会にでも。

日本の国籍を捨てたいと思ったのは、幼児期から、日本で生まれて日本人の様に生きているけど、出るところに出ると日本人としては認められないだとか、何か起こると一番最初に疑われるのは純粋な日本人でない自分に指が差されるから気を付けろだとか。国家公務員にはなれないから、ビジネスをしろだとか。住んでいたところが部落と呼ばれる地域で、そのせいか幼児期からのいじめも受け、小学校の先生はウチの親にこの子の責任は取れませんと言う始末。世の中の偏見や、そんな偏見を持った大人から受けた教育のせいで、不必要に自分が抱えてしまったストレスで、物心がついた時には日本と言う国を嫌悪する様になっていました。

それに加えて性癖まで…

正直地獄でしたね。生きるのが。自殺未遂3回。

死なせて貰えなかった。万全な準備をしたつもりでも、何故かいつもいないはずの人が自分を見つける事に。

小さい時から日本語以外の言葉を耳にしていたおかげだと思います。外国語だけは飛び抜けて他よりも出来ました。

3回目の自殺未遂の後でした。真剣に日本を脱出する事を考え始めたのは。

裕福では無かったので塾には通うことも出来ませんでしたが、運よく学校の授業だけで英検も通りTOEFLも30年前ですが高校2年の時に800を超えていました。

中々親はうんと言って来れなかった留学。

知っていたと思います。自分がもう2度と戻って来ないって。

親も必死で猛反対でしたよ。

でも、高3の夏だったと思います。髄膜炎で緊急入院する事になったんです。親は医者から5分遅れていたら助ける事は出来なかったと言われたそうです。その頃から、親も真剣に留学の話を聞いてくれたのは。毎週末、アメリカンセンターに通ってカレッジ辞典を1ページ、1ページ見ながら探しました。何とか見つけた短期大学。うちの家計でも何とか行ける金額でした。国立大学より安かったんです、笑。20歳になるまで親も金銭的なサポートをしてくれる約束で。その代わり、その後は自力でって条件も付いていました。



あれから、30年が経とうとしています。

色んな事ありました。

こんな事
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そしてこんな事
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こんな事もしました。
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これからも色んな経験をして行くと思います。

単に歳を取ったばばあにならない様に、今の自分が一番好きと言える様にこれからも精進しないとですね。












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